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<報告>イラク・バスラ石油労働者連帯!全国ツアー   

   1/20東京集会の講演内容の報告

CIMG0750.JPGサミール・アディルアさん(左)とアブ・ワタンさん(右)

アブ・ワタンさんの講演(ここをクリック)

(全イラク労働組合労働者評議会連合バスラ支部副議長)
テーマ:『国際石油資本とマリキ政権に立ち向かうーイラク石油労働者の闘いと展望』
”はじめに”                                    DSC03502.JPG石油会社で働くアブ・ワタンさん

 皆さんのイラクの闘いへの連帯に感謝します。
私は石油労働組合のバスラ支部の委員長をしています。それと当局には非公然ですが、石油労働者権利擁護委員会を組織しています。

 イラク占領は各都市を破壊し、経済や社会を破壊しました。そして何百何千もの工場が閉鎖されました。
石油化学会社は中東で最大の企業の一つでしたが、労働者は以前の25%しかいません。バスラでも多くの工場が操業停止しています。戦争後のポールブレマーのCPA(連合国暫定統治当局)の下で、3500もの工場が停止しました。占領は労働者の75%が失業という状態を生み出しました。

 イラクの労働者は資本家だけでなく民族主義や宗派主義勢力にも抑圧されています。サダム時代の法律はほとんど停止させられたのに、労働者に敵対する法律はそのまま存続しました。労働者が最も多い公的部門で、組合を作りデモやストライキや座り込みをする権利が認められていません。抗議行動をする労働者は反テロ法によってテロリストの扱いを受けます。健康保険制度もないし、年金も十分保障されていません。年金は子どもが5、6人いても毎月250ドル以下です。

“イラクの石油労働者について”

米英がイラクを攻撃したのは、民主主義や人権や体制変革のためではありません。石油の利権であり、ロシアとの競争に勝つためなのです。イラクの石油産業が2003年の占領の時に米軍の直接攻撃を受けなかったのは偶然ではありません。

 イラク南部には南ルメーラ油田、北ルメーラ油田、マジョヌーン油田などの大きな油田があるからなのです。そこはイラク最大の石油産出地帯です。
 2009年にイラク議会が(国民の反対によって)石油ガス法の採択に失敗しました。それでイラク政府は外国資本に南部の油田への投資の許可を与えるという方法をとりました。エクソンモービルやイタリアの会社やイギリス・オランダのシェルなどに許可を与えました。イラクに進出しているアメリカの石油企業や日本のJAPEX(石油資源開発)はみなアメリカ政府によるイラク占領を支持しました。

“石油産業の労働者と外国資本による石油支配について”         DSC03712.JPG沖縄・嘉手納基地の前で

 イラク最大の石油会社は南部石油会社です。南部石油会社と外国企業が共同で運営していると思われています。しかし実際はイラクの石油労働者の利益に反する決定が外国企業によって下されているのです。

 労働者の権利を奪うために経営者は新会社を設立し、新たに労働者を雇用して不当な契約を結んでいます。そして外国企業が顧問として支配をしています。会社は労働者と個別に労働契約に署名させます。全部で4ページのこの労働契約書のうち3ページは会社側の権利ばかりで、労働者の権利は1ページの半分、たった6行しかありません。
 契約書でもっとも危険なのは、抗議行動の禁止です。米国企業でも英国企業でもその会社で労働者が抗議をしたら投獄されるのです。更にメディアのインタビューをうけたら契約違反で会社が労働者を牢屋に送れるのです。マリキ政権はこういった企業によって支えられています。

 会社に抗議をすると、会社は「お前はテロリストだ」と決めつけます。会社は契約書に「反対行動をしない、デモなどをしない」という条件を入れて労働者に押し付けてきます。圧力、攻撃が強いですが、イラクの労働者は闘いを続けています。私自身も抗議行動の先頭に立ったために6ヶ月間のボーナスカットを受けています。「外国企業に被害を与えたから石油省に身柄を移して取り調べる」と言われました。

“技術的な問題”
 英国や米国の企業が石油産出量を非常に増やしています。占領以前には油田から石油をくみ出した後に殺菌した水を入れていました。しかし現在は殺菌も何もしない水を入れています。時間と経費を節約するためです。これは将来大きな問題を招きます。50年間石油が取れるはずの油田が30年間しか取れないということが起こります。

 厳しい状況ですが私たちは決してあきらめませんでした。抗議行動やデモをやりました。西クルナ油田でも他の油田でも抗議行動をして、英国の石油会社が入ってくるのを阻止しました。私たちは非公然の石油労働者権利擁護委員会を組織化し石油部門とほかのすべての労働者をまとめ、抗議行動を組織しています。バスラでも大きなデモを組織しました。
 バスラ州知事が石油労働者の代表と交渉したいと言ってきました。私たちは交渉委員会を作り、その委員長が私でした。

私たちは多くの要求を獲得しました。ただし、達成できなかった要求もあります。
勝ち取った権利をいくつか紹介します。

①イラクの石油労働者の賃金は中東の石油労働者の中では最低です。その賃上げを獲得しました。
②米軍が占領したときに使った劣化ウラン弾(ウラニウム兵器)によって労働者が健康を害しています。英国石油(BP)と交渉して、国外の専門病院で治療を受けられるようにしました。
③労働組合が民間部門でも公的部門でも企業でも労働組合を結成しています。そもそもイラク憲法で労働組合を結成する権利が認められているのです。

成果を勝ち取った主な要因は連帯です。特に日本の皆さんは私たちの側に立って支援してくれました。このような連帯を続けてもらいたいです。連帯がなければ勝利は勝ち取れないからです。

サミール・アディルさんの講演(ここをクリック)

(イラク民衆メディアSANAテレビ創設者)
『イラクでの“99%の闘い”ー社会を変革する若者』


“イラクの若者の状況について”                   DSC03730.JPG沖縄国際大学の講義で

今日、お話したいのはイラクの若者についてです。メディアでも取り上げられていますが、中東民主主義革命(いわゆる「アラブの春」)でも若者が中心でした。中東地域や世界の若者と比べても、イラクの若者は違うところがあります。

 イラクは占領以後の歴代の政権、ブレマー(米による連合国暫定統治当局)、アラウィ(元イラク首相)、マリキの第1、第2政権(現政権)がありますが、同じ問題を抱えています。
 イラクの人口の60%は若者です。若者が苦しんでいる問題は失業です。労働人口の75%は若者です。なぜ失業が起こるかというと、安全が全くないからです。占領が終わったのに暴力が急増しています。

“マリキ政権の宗教政策について”

 マリキ政権は反動的な政策を大学に押しつけることを集中してきました。大学の中での男女分離や、シーア派の宗教の授業を必修科目とするなどです。マリキ政権は「イスラム教に反する」といって芸術専門学校を停止する決定を行いました。音楽祭や演劇、映画の公的財政支援を全廃しました。その一方でマリキ政権はシーア派の40日間の宗教行事に数十億ドルも出しました。

 宗教政党の野蛮な例をあげます。ムスタンセリヤ大学の卒業式で卒業生が壇上で歌ったり、演奏するのにガードマンが突入し、ステージのものを全部破壊しました。昨年には、欧米風のスタイルをしている“エモ”と呼ばれる若者を殺しました。“同性愛者”の人を悲惨なやり方で殺しています。社交クラブや酒屋やレストランもイスラムに反していると閉鎖されています。

“私たちの闘いについて”

 こんな状況にどう立ち向かうかを話します。ひどい状況や野蛮な行動に対して立ち向かうためには勇気が必要です。イスラム主義の押しつけに反対するキャンペーンをしてきました。

 厳しい状況にどう立ち向かうかのワークショップをしました。自分の意見を文章でどう書くか、デモをどうするのか自分たちの活動にどう新しい人たちを入れるのかというワークショップです。私たちは新聞を発行し、困難な状況の人たちにインタビューして新聞に載せています。多くの若者の発言を新聞で広げることをしています。
 自分たちの意見を言い合うだけでなく新聞に書いて表現し多くの人に伝えることで自分の考えに確信を持ち、それを繰り返すことで「恐怖の壁」を打ち崩すのです。
そしてバスラやサマラやキルクークで新しいグループをつくりました。

 若者が学習をするためにキルクークに図書室を作って学習文献の役に立てています。メーデーのデモのときには、イスラム政党が嫌うラップをしました。若者や女性がたくさん参加しました。

 最後にSANAテレビについて話します。SANAテレビの番組で、若者がどうやってこの現実を変えていくのかというインタビューをして、若者や学生の活動についての番組を作りたいと思います。

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2人の紹介

アブ・ワタンさん紹介abuwatann2.jpg

①活動のプロフィール

1951年イラク・バスラの貧困な労働者家庭に生まれる。学歴は石油技術学校卒。
1968年頃フセイン政権の弾圧のために、1981年に亡命を余儀なくされ、シリアやカタールなどに亡命。
2003年フセイン政権崩壊後に約25年ぶりにバスラに戻り家族と再会できた。子どもは3男2女。バスラに帰って南部石油会社で働く。占領直後から石油労働組合で英軍の石油略奪と石油法阻止の闘いを行う。
2004年にイスラム政治勢力に銃撃され、右足に銃弾がかすった跡が残っている。
占領下でIFC・イラク自由会議副議長として活躍。
2012年現在 全イラク労働者評議会労働組合連合バスラ支部副支部長

②最近の動き

2012年1月11日にアブワタンさんら3人の石油労働組合活動家が、「騒乱を扇動した」と政府から非難され第1129号調査委員会から出された勧告に従って戒告と賃金6ヶ月分のボーナスの差し止めなどの攻撃を受けた。現在、イラク政府は労働者の大多数を講成する公的部門の労働者の権利を奪う法案の成立を狙っており、見せしめとしてこのような攻撃を組合活動家に対して攻撃を強めているなかで闘いを進めている。

サミール・アディルさん紹介サミール.jpg

①活動のプロフィール

1964年バグダッド生まれ。

フセインの独裁と米国によるイラク・中東地域の侵略の両方に反対する闘いの中で結成されたイラク労働者共産党に加入。

1992年、サダム・フセインの独裁体制下で建設業の労働組合を組織したことに対して6ヶ月間投獄された。25日間の厳しい拷問を受け左半身、特に左足に軽い麻痺が残る。カナダの労働組合・支援者が国際キャンペーンを開始し、彼の釈放を勝ち取った。その後、カナダに政治亡命。

イラク戦争直前の2002年12月、独立した政治的反対派を復活させるためにイラクに戻る。

2005年3月、イラク自由会議(IFC)を結成し議長に就任。IFCは全占領軍撤退、民族主義・宗派主義のない政教分離の民主的なイラク再建をめざし、武力によらない反占領闘争を進めた。イラクの石油をグローバル資本が自由に奪うことを狙った石油法に反対する闘いではアブ・ワタンさんたち石油労働者とともに全国的反対運動を展開し、現在に至るも制定を許していない。
2006年1月、東京で開催されたIFC連帯国際会議で、平和で民主的なイラクを求めて闘う民衆の姿を伝えるために“SANA衛星テレビ”の設立を呼びかけ、2007年5月に放送を開始。

②最近の動き

2011年12月、イラク市民と世界の市民によって全占領軍の撤退を勝ち取る。その後IFCは主要な任務の終了にともなって解散した。

現在、マリキ腐敗政権下で進む新自由主義政策に反対する新たな運動の組織化を進め、若者、女性の権利を獲得する闘い、石油資源略奪に反対する石油労働者の闘いなど、イラクの社会変革の運動の先頭に立ち続けている。